自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)の全体像:定義から開示推奨、NPOの役割まで
導入
近年、気候変動への対策と並び、生物多様性の損失や自然資本の劣化が地球規模での喫緊の課題として認識されています。このような背景のもと、企業活動が自然環境に与える影響、そして自然環境の変化が企業にもたらすリスクと機会を評価し、開示する枠組みとして「自然関連財務情報開示タスクフォース(Taskforce on Nature-related Financial Disclosures、以下TNFD)」が注目を集めています。
この記事では、TNFDの基本的な定義からその重要性、関連する概念、具体的な開示推奨事項、そして最新の動向やNPOが果たすべき役割までを深く掘り下げて解説いたします。読者の皆様が、TNFDに関する理解を深め、実務や活動に活かす一助となれば幸いです。
TNFDの定義
TNFDは、企業や金融機関が自然関連のリスクと機会を特定、評価、管理、開示するための枠組みを開発・提供する国際的なイニシアチブです。気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)の成功に続き、2021年に設立されました。その目的は、自然資本に関する財務情報の開示を促進し、金融フローを自然にポジティブな方向へ転換させることにあります。
具体的には、企業が自社の事業活動やサプライチェーンが生物多様性や生態系サービスに与える影響(依存とインパクト)を評価し、それによって生じる財務的なリスクや機会を投資家やその他のステークホルダーに対して透明性高く開示することを推奨しています。
背景と重要性
TNFDが設立された背景には、深刻化する自然資本の損失と、それが引き起こす経済的・社会的なリスクへの懸念があります。世界経済フォーラムは、世界のGDPの半分以上が自然資本に中程度から高度に依存していると試算しており、自然資本の劣化は食料供給、水資源、災害防止といった多様な生態系サービスを損ない、企業経営に直接的な影響を及ぼします。
- 経済的リスクの顕在化: 自然環境の劣化は、企業のオペレーションコスト増加、供給網の寸断、規制強化、ブランドイメージの低下など、多岐にわたる財務リスクを生じさせます。例えば、森林破壊は水資源の枯渇を招き、農業や製造業に深刻な影響を与えかねません。
- 投資家からの要請: 気候変動と同様に、投資家は自然関連のリスクと機会を企業価値評価の重要な要素と捉え始めています。自然関連の情報を開示することで、企業は投資家からの信頼を得やすくなり、持続可能な投資を呼び込むことができます。
- パリ協定と生物多様性条約: 気候変動に関するパリ協定と同様に、生物多様性に関する国際的な目標(例: 昆明・モントリオール生物多様性枠組)の達成には、企業活動の変革が不可欠です。TNFDは、これらの国際目標達成に向けた企業の貢献を可視化する役割も担います。
関連する概念・用語
TNFDを理解する上で、以下の概念や用語との関連性を把握することが重要です。
- TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース): 気候変動関連の財務情報開示枠組みであり、TNFDの基盤となっています。TNFDはTCFDと同様に「ガバナンス」「戦略」「リスク管理」「指標と目標」の4つの柱に基づいて開示を推奨します。
- 自然資本: 生態系が提供する資源やサービス(水、空気、土壌、生物多様性、気候調整など)を経済的価値として捉える概念です。企業は自然資本に依存し、またその活動が自然資本に影響を与えます。
- 生物多様性: 地球上の生命の多様性のこと。遺伝子、種、生態系の3つのレベルで構成され、生態系サービスの基盤となります。生物多様性の損失は、生態系の機能不全を招き、人類の生存基盤を脅かします。
- 生態系サービス: 生態系が人間社会にもたらす恩恵のこと。供給サービス(食料、水)、調整サービス(気候調整、水質浄化)、文化サービス(レクリエーション、精神的恩恵)、基盤サービス(栄養塩循環、土壌形成)などに分類されます。
- LEAPアプローチ: TNFDが推奨する自然関連のリスクと機会の評価プロセスです。Locate(特定)、Evaluate(評価)、Assess(測定・分析)、Prepare(準備・報告)の頭文字を取ったもので、企業が体系的に自然関連情報を収集・分析するためのフレームワークを提供します。
具体的な事例・応用
TNFDへの取り組みは、企業のレジリエンス強化と新たな事業機会創出に繋がります。
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企業における応用事例:
- サプライチェーンの見直し: 食料・飲料メーカーが原材料調達先の生態系影響を評価し、森林破壊に関与しない持続可能な調達先に切り替える。これにより、調達リスクを低減し、消費者の信頼を獲得します。
- 土地利用計画の改善: 不動産開発業者が開発地の生物多様性調査を行い、生態系への影響を最小限に抑える設計を採用。生態系に配慮した開発は、地域住民との良好な関係を築き、ブランド価値を高めます。
- 水資源管理の最適化: 製造業者が取水源となる地域の水質・水量に配慮した排水処理施設を導入し、地域コミュニティとの対話を強化。これにより、水利用に関する規制リスクや地域からの反発を回避します。
- ネイチャーポジティブなビジネスモデル: 自然再生事業への投資、生態系サービスを活用した新しい製品・サービスの開発など、自然環境の回復に貢献する事業展開。
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NPOの役割と貢献:
- 情報提供と専門知識の提供: NPOは地域の生態系や生物多様性に関する深い専門知識を有しており、企業がLEAPアプローチを実行する際に、データ提供や現地調査の支援を通じて重要な役割を果たすことができます。
- ステークホルダー・エンゲージメント: 企業が自然関連リスク・機会を評価する際、地域コミュニティや先住民族など多様なステークホルダーとの対話は不可欠です。NPOはこれらのステークホルダーとの橋渡し役となり、公正なプロセスを促すことができます。
- 政策提言とモニタリング: TNFD開示の義務化や国際的な生物多様性目標の進捗状況に関する政策提言を行うことで、TNFDの普及と実効性を高めることができます。また、企業の開示内容を独立した立場から評価・モニタリングし、その信頼性を担保する役割も期待されます。
- 能力構築支援: 企業がTNFD開示に取り組むための研修プログラムやガイドライン作成を支援し、実務担当者の知識とスキル向上に貢献することができます。
最新動向・課題
TNFDは急速に発展している分野であり、その動向を追うことが重要です。
- 最終提言の発表: 2023年9月、TNFDは開示推奨事項の最終版を発表しました。これにより、企業は具体的な枠組みに沿って開示準備を進めることが可能となりました。推奨事項はTCFDの4つの柱(ガバナンス、戦略、リスク管理、指標と目標)をベースにしつつ、自然に特化した追加的な推奨を含んでいます。
- 各国の動向と法規制: G7やG20といった国際的な場では、自然関連の情報開示の重要性が強調されており、各国政府も開示の義務化に向けた議論を進めています。EUでは企業持続可能性報告指令(CSRD)において自然関連の情報開示が求められており、今後、他の国々でも同様の動きが加速すると予想されます。
- 課題と今後の展望:
- データと評価手法の確立: 自然関連のデータは気候関連データに比べて複雑で、統一された評価手法の確立が依然として課題です。地域ごとの生態系の特性やデータの入手可能性に差があるため、企業の開示努力を支援するツールやプラットフォームの開発が求められます。
- サプライチェーン全体での対応: 多くの企業にとって、自然への影響はサプライチェーンの上流で発生します。サプライヤーを含むバリューチェーン全体での情報収集と開示が、TNFDの実効性を高める上で重要な課題となります。
- グリーンウォッシュへの懸念: 不十分な情報開示や表面的な取り組みに終わる「グリーンウォッシュ」への懸念も存在します。開示情報の信頼性を確保するためには、第三者による保証や検証の仕組みが不可欠です。
まとめ
自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)は、企業が自然資本との関係性を深く理解し、その情報を透明性高く開示することで、持続可能な経済システムへの移行を加速させるための重要な枠組みです。自然資本の劣化がもたらすリスクは、もはや無視できない財務的な側面を持ち、企業価値評価における新たな標準となりつつあります。
NPOは、自然に関する専門知識、地域コミュニティとの連携、そして企業への提言活動を通じて、TNFDの普及と実効性の向上に不可欠な役割を担います。この新しい情報開示の波を理解し、適切に対応していくことは、企業と社会双方にとって、持続可能な未来を築くための重要な一歩となるでしょう。